「自由」・「平等」思想の超越

「自由」・「平等」思想の超越(目次)

〜人と未知性との関係を述べる「『自己発展』論」において〜

   正式名称は『「自己発展」論―人と未知性との関係について。もしくは「自由」・「平等」思想を越えた思想の確立について―』
   元々は欲望論のようなものです。しかし、そこから「自由」・「平等」思想について考察します。
   それは必然的に個人主義の考察にもなってます。
   ちなみに、世界基準になることが唯一無二の目標です。

〜哲学としての思想〜

   思想というものは哲学と宗教の間にあるものだと思っています。ただし、結局は哲学も思想だったということが多いのでしょうが。


  1.
 (哲学的な)理論として成り立つ。→哲学として成り立つ。
 理論として成り立つが、誰にも確かめようのない部分がある。→思想として成り立つ。

  2.
 それが少しでも役に立つものであれば、皆が知る価値がある。

  3.
 それがオリジナルであれば、考えた人間にとっての名誉となる。
 埋もれていたものを掘り出しても結構な名誉である。
 それが周知の話であれば…まあ知らない人間には喜ばれる。知ってる人間には馬鹿にされることもある。

 これが私の考え方です。哲学・思想研究をしている人達も、こう単純に考えていれば(いるとすれば)、もっと独自方面に進み、よく知られているのはずっと昔の西田幾太郎や和辻哲郎だけで、世界的な有名人はゼロなどという状況にはないのではないかと思います。日本人でも、様々な分野でノーベル賞級の人だってそれなりにいるわけですから。
 役立つ云々に関しては、直接には役に立たないことに美意識を感じるのも勿論結構ですが、事実としてどちらも世の中には必要です。

 ちなみに、私は哲学や思想を専攻していた人間ではありません。日本人の専門家は、他の研究者に認められないようなことはしないのではないかと思います。実際に輪から外れてゆくのは、少し何か足りない変人のような人のみなのでしょう。何故かそういう先入観があります。しかし、勿論輪から外れないから一流というわけではありません。

 また、これらのように考えるが故に、日本で哲学や思想をやっている人(趣味でやってる人達は、単に哲学・思想のファンであるか、そういう研究者達の劣化コピーでしょう。もしくは単に能力がない)に世の中に影響を与える何かを期待しようなどとは思いません。勿論、実際誰にも期待するなどという発想すらないでしょうから、結果的に単に一般的な意見なんですが。


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最終更新日 2005/3/19


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